横浜元町ヒストリー

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横浜元町ショッピングストリート



03 よきリーダー、よき仲間 小島福三郎

小島福二郎さん

観光客誘致、まちづくり

幼い頃に父を、物心ついて母を亡くしたので家庭のあたたかさに憧れていたんでしょうね。ザキ(伊勢佐木町)でちょっとは知られた喫茶店の看板娘を嫁にもらい、一家を構えました。24歳のときです。実家は古くからザキで商売をしていましたが、兄弟で店を経営するには何かと課題もあったものだから独立して元町にきたんです。朝鮮戦争の最中で、私は28歳になっていました。

昭和20年代半ばの元町は、朝鮮戦争の特需でにぎわっていました。多くの店で、米軍の将校、軍属クラスをなじみ客としていました。ところが、戦争の終息とともに将校や軍属が撤収すると、元町はシーンとしてしまいました。一時期、表通りは閑散としたものです。お得意先を日本の方たちに代えなければ商売を続けられない、という困った状況になりました。

20年代後半から30年にかけて、外国からの観光客が豪華客船に乗ってやってきました。停泊する沖合で検閲・入管手続きを済ませ、大桟橋にたくさん上陸してきます。このころ、商工会議所のアイデアで元町と伊勢佐木町、関内の三地区で観光客を歓迎することになりました。元町では外国人客誘致のための英文チラシを作成し、税関にお願いして英文毎日新聞とともに船に届けることにしたんです。私がその担当でした。毎朝5時に起きて、英文毎日と元町を紹介する英文チラシを500部持ってランチーに乗り込み、横浜港の沖合に停泊する客船に持って行くんです。外国のお客さまが桟橋に降り立つ。待ち構えているタクシーに乗り込む。その大半がWhere is MOTOMACHI? と運転手に告げて元町へ足を運んでくれました。英文チラシの効果だと思います。

元町は、一直線に伸びる約500メートルほどの道の両側にいろいろな商店が並ぶ商店街です。裏手は山手に続く丘、目の前には港に通じる運河があります。昭和20年代、順調に復興したといっても、台風が来るとなれば雨戸を釘で打ちつけて風雨をしのぐようなお店ばかり。シャッターのある店は一軒もありませんでした。ネオンが華やかな伊勢佐木町のにぎわいと比べると、それはさみしいまちだったんです。

まちとしての特徴を出していかないと将来性がない。歩道を広げてお客さまにゆったり買い物を楽しんでいただこう。そんな発想から壁面後退=元町商店街建築物後退計画がうまれました。店舗を歩道より後退させ、車道や街路もデザインされておしゃれな印象を作りだしている商店街が増えましたが、その先鞭をつけたのは元町だったのではないでしょうか。

昭和30年、壁面後退、店舗の鉄筋化などを柱とする元町のまちづくりが本格的に始まりました。私は理事の一人としてその推進に取り組み、お客さまをむかえる商売仲間の説得から始めました。全員が賛成したわけではありません。商人にとって店はいのちです。店を後退させるのは、自ら店を小さくするようなものだからです。そして資金融資のお願い。陳情。融資のお願い。説得。陳情。何度も繰り返しました。

リーダー出現、まちがひとつにまとまる

豪放磊落、人情に厚い近澤竹雄さんが理事の中のリーダー的存在になっていくにつれて、元町の人たちは気持ちを一つにしていった面があります。まちづくり資金への協力をお願いにいくと、銀行の支店長も耳を傾けてくれました。銀行の方たちとの親睦を兼ねた食事の席では、近澤さんをはじめ松下庄次郎さん(松下家具店)、宝田和七郎さん(タカラダ食器)、竹中敬さん(竹中家具)といった面々が元町を愛する思い、夢を熱っぽく語りました。

まちづくりはいくつかの段階を経て、昭和40年代はじめまで続きます。まちを一変させる壁面後退が進むにつれて、関係者の視察が相次ぎました。まちのにぎわいが増すにつれて全国主要都市のデパート、百貨店から声がかかり元町の店、商品を紹介するフェア、イベントを通じてその名が広まっていきました。交渉役を任された私は、札幌のデパートとの打ち合わせに朝早く羽田を発ち、夜、横浜に戻るなんていうこともありました。「全国に○○銀座と呼ぶ商店があるように、元町の名前をみんなで有名にしよう」という近澤さんの熱意に、みんなが賛同して行動した結果でした。

昭和42年、壁面後退による第1期街づくりの完成を記念する祝賀パレードが行われました。この年は、まちとしてのハード充実をより効果的にする目的で、世界各国の商店街と姉妹提携を結ぶため視察団を結成し、パリ・ローマ・ロンドン・チューリヒ・アムステルダム・ハンブルグを訪ねています。

チャーミングセールの前身があったことをご存じの方は少ないと思います。比較的、お客さまの少ない2月と8月に元町で洋装品などを扱う店が集まりお金とアイデアを出し合ってバーゲンセールをしようということになりました。昭和34年だったと思います。自主運営的なかたちで、20数軒ではじめたセールは翌35年、参加する店が増え、人気店では店内に入るのを待つ長い行列ができるほどでした。そして36年、任意の集まりだったSS会火曜会主催の秋のセールを「チャーミングセール」と銘打ち、大々的に行ったのが第一回目だったんです。この企画は大きな効果をもたらしました。商店街のすべての店が参加してのバーゲンセールですから話題を集め、元町の名が全国的に知られるようになったんです。

元町で飲食店は成功しない、とジンクスのようにいわれた時期がありました。でもいまはあてはまらない。仲通りを中心にフレンチレストランや創造的な和食を楽しめる店が軒を並べ、お客さまを集めています。元町で食事も買い物も楽しむ方が増えれば、自然と滞留時間が伸びていくでしょうね。ここでなければ売っていない、手に入らない名物が元町にあってもいい時代になったと思います。老舗の味も、いま人気の味もそろっていた東横のれん街(渋谷駅 東急百貨店)のようにね。

元町とともに半世紀

このまちに暮らしはじめて半世紀を過ぎました。みなとみらい線の開通で駅が入り口にでき、若い経営者の斬新な発想が、お客さまを引きつける店をうむ。まちの成長、変わり目をいつも感じていられるのは仕合わせです。元町の発展に、微力ながらもかかわってくることができたのは、リーダーや仲間に恵まれ、私のやるべき道を与えてくれたからだと考えています。私はいまや、天下の素浪人です。いまさらああだこうだと言う立場じゃありません。先輩諸氏の背中を見て育ってきた30代、40代といったつぎの世代に、元町の未来が託されています。私は次世代リーダーの活躍をずっと見つめていきたいと思います。

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