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2024年(令和6年)5月20日号 元町コラム  
横浜開港200年 / Y200(2059年)を夢みて!

モトマチのフェニックス 〜不死鳥の翼に乗って〜(10)

 〜 ローマの休日と勝 海舟さん、そして、、 〜

 みなとみらい線が開通する2004年2月1日に照準を合わせるように、元町が音頭をとる形で「YMC協議会」が発足したのは2001年の春の事でした。 

 その名称の由来は、山下公園通り会(Yamashita)、協同組合元町エスエス会(Motomachi)、横浜中華街発展会協同組合(Chinatown)の3団体のイニシャルを取って「YMC」と名付けられたわけですが、横浜発展の祖となったセントラルタウンとしての自覚から、その範疇は「馬車道、関内、山下公園通り、横浜中華街、元町・山手」と元来のセントラルタウンの様相を呈する程に拡大発展して今日に至っています。

 横浜への集客を意図した横浜開港150周年(2009年/ 平成21年)のテーマイベント「開国博Y150」を発端として、翌年、2010年に同協議会が「横浜セントラルタウンフェスティバルY151」を新たにスタートさせたのも来街顧客数の継続拡大を意図したからでしたが、それが更に「ハマフェス」と名称を変えて、今年は早くも「ハマフェスY165」。 165年目の横浜開港記念日のカウントダウンが開始された今週末、5月25日(土)〜 26日(日)の2日間、旧セントラルタウンの各所で楽しく美味しいイベントが今年も賑やかに開催されます。

 その中で、元町の旧知のお仲間でもある馬車道エリアは開港の当初から文明開花の最先端を走って来たわけですが、日本最初のアイスクリーム製造販売を記念した「アイスクリームの日」(5月9日)には、今年もチャリティ募金を募って5千名の皆さまに感謝のアイスクリームが振る舞われました。 

※ 春先の散歩で訪れた横浜馬車道通り。 歴史の宝庫のようなこのエリアのシンボル的存在、「神奈川県立歴史博物館」の前にしばし佇み、過ぎし時代の歴史絵巻に思いを馳せたーーー。

 明治2年(1869年)、馬車道通りにあった氷屋が日本で初めて製造したアイスクリーム(アイスクリン)を発売するにあたり、最初にその味見をしたのが、有名な勝安房守(Katsu Awa-no-Kami)、つまり、勝 海舟(Katsu Kaishu)さんだったお話は知る人ぞ知る秘話ですが、勝さんがアイスクリームの存在を知ったのは、万延元年(1860年)に福沢諭吉等と咸臨丸(Kan-rin-maru)に乗り込み、「日米通商条約」の批准書交換の目的でアメリカに渡航した際に、既に、冷蔵庫が普及し始めていたサンフランシスコの富裕層の間で、アイスクリームの手作りのブームを目の当たりにして、その美味しさを自ら堪能していたからに他なりません。

※筆者が長年在籍したジャーディンマセソン社の日本のルーツの地。  幕臣大幹部だった勝 海舟は、坂本龍馬こと才谷梅太郎(Saidani Umetaro / 英一番館の書類に記されている龍馬の本名)に請われて、居留地の区画壹番のこの一等地に毅然と居を構える英一番館ことジャーディンマセソン商会を度々訪れている。 上司のトーマス B グラバー(長崎・グラバー商会)が龍馬に支払えなくなった船舶、銃器、弾薬などの販売手数料を同商会から直接受領するのが来訪の目的だったーーー。


※ 元町コラムではお馴染みの英一番館の史跡碑とその横にある初代館長のウィリアム・ケズウィック(William Keswick)の顕彰碑は、横浜開港100年記念事業の一環としてマリンタワーと共に建造された。 「史跡 英一番館跡」の文字は、当時の人気横浜市長、平沼亮三氏の揮毫(kigou)によるものだーーー。

※ 徳川幕府解体の煽りで職を失した武士たちの救済に奔走した勝 海舟は、横浜港の築造に際して延べ10万余人の労働の職を得て救済の一翼を担った。 「象の鼻」等の歴史を紐解くと、1859年(安政6年)に幕府によって東波止場(イギリス波止場 / 象の鼻の原型)と西波止場(税関波止場)が建設され横浜港として開港の後、1867年(慶応3年)、その東波止場を弓形に築造した事から「象の鼻」と呼ばれるようになった。 1896年(明治29年)イギリス人技師のパーマーによって西波止場の先端に増設されたのが「大さん橋」だーーー。

 さて、昨今は種類も多岐に渡り人気のアイスクリームですが、家庭での手作りアイスクリームのブーム以来、アメリカはアイスクリームの大消費国として世界を一歩リードしているわけですが、文献によると、アイスクリームの本来の発祥はイタリアに由来しているとか。

 合点が行ったのは、誰もが知るイタリアン・ジェラートの美味しさを筆者も記憶していたからですが、それは、映画「ローマの休日」(原題 Roman Holiday / 1953年 アメリカ・パラマウント社)の中で、オードリー ヘプバーン(Audrey Hepburn)が扮する王女・アンがスクーターに乗ってローマの街を走り回り、有名なスペイン広場の階段で、コーンカップに山盛りのジェラートを目を輝かせながら美味しそうにいただくシーンに影響を受け、後年、映画を真似て同じ場所でジェラートを美味しく頂いた経験があったからでした。

 明治維新と勝 海舟さん、そして、アメリカ、サンフランシスコと横浜馬車道。 アイスクリーム日本発祥の地と繋がった映画「ローマの休日」、そして、ジェラートと王女・アン、あのオードリー ヘプバーンの大きく輝く瞳に映ったジェラートが、時代を越えて今日も懐かしく思い出されます。

Tommy T. Ishiyama 

 

 

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