• facebook
  • twitter
  • instagram
  • youtube

2023年(令和5年)7月20日号 元町コラム
横浜開港200年 / Y200(2059年)を夢みて!
【特集】心安らかに人生を見つめ直す旅への誘(izana)い〜(13)

 

     「1本の鉛筆」、、、。

     毎年、7月の半ばを過ぎると必ず思い出す事があります。

     昭和の日本を代表する象徴的なボーカリスト、「美空ひばり」さんが少女の頃目指していたもの、それはポップスというジャンルがなかった時代の日本の音楽、邦楽と、外国曲、つまり洋楽でした。

    横浜で生まれ、幼い頃から最先端のジャズ & ポップスが溢れる環境の真っ只中で育ったひばりさんは、実際、本格的なジャズもこなしたし、抜群の歌声でスタンダードナンバーも披露してくれました。 その溢れるような才能が、今日、伝説として残されている名声を築くのに充分なレベルにあった事は誰もが認めるところとなっています。

     そのひばりさんの人生最後のステージは「東京ドーム公演」だったと言うことが定説になっており、それは1988年4月11日に敢行された「不死鳥伝説」を意味しているわけですが、SNSが全国を網羅している現在、この事実に異をとなえる意見が多く投稿されるようになり、そこで皆が言うひばりさんの本当のファイナルステージは、この伝説の日から3ヶ月後の1988年7月27日に開催された「第15回 広島平和音楽祭」であるというものでした。

     その折に歌われた「一本の鉛筆」という楽曲が、ひばりさんによって初めて世に披露されたのは、最後となったこのステージから14年を遡(sakanobo)る1974年8月のことで、広島テレビの主催による「第1回 広島平和音楽祭」での事でした。 以来、世界に平和を発信したいとうひばりさんの情熱は、人生最後のステージとなる1988年7月27日の同音楽祭への2回目の出演という奇跡のパワーを生んだのです。

※ 「原爆の子の像」が広島平和記念公園内にある。 像のモデルとなった少女は被曝の後遺症で発症した白血病で亡くなった「佐々木禎子」さん。 同級生らによる募金運動により作られたこの像は、年間を通して国内はもとより海外の各国からも多くの千羽鶴が届き、捧げられていることから「千羽鶴の塔」とも呼ばれているーーー。

     既に、自力で立ち上がることが困難だったひばりさんは、気丈にも、数曲を往年のひばり節全開で歌い、見事にステージを納めたわけですが、その中で象徴的な一曲となった楽曲が「1本の鉛筆」だったのです。

     前述の1974年第1回 広島平和音楽祭へ、ひばりさんが出演する事を知り、総合演出を担当していた映画監督で脚本家の松山善三が作詞を、映画音楽の作曲家だった佐藤 勝が作曲を快諾したこの「1本の鉛筆」は、ひばりさんのファンなら誰もが知っている名曲で、「1本の鉛筆があれば、戦争はイヤと書く」「いのちを、あなたを、返して、、と書く」と歌っています。

     美空ひばりさんのラストステージを飾った「1本の鉛筆」。 その歌声は、真っ青に澄み渡った夏の広島の空に響き渡りました。

     時が流れて、令和5年の夏が訪れ、来週はひばりさんの最後のステージとなった音楽祭のあの日から「35年目」の「7月27日」を迎えます。

     ひばりさんは、この曲を誰もが歌えるように強く希望し、著作権の枠を外すようにと活動しました。 誰もがこの歌を自由に歌える日が来る事を夢見ながら、最後のステージとなる「第15回 広島平和音楽祭」の舞台に立った翌年、ひばりさんは旅立ったのです。 1989年6月24日 午前0時28分の事でした。

※ 筆者秘蔵の色鉛筆たち。 三角の軸にドットの滑り止め。 普通の鉛筆も進化して来たが色鉛筆の色と目的別の素材の豊富さには驚かされる。少子化という人口減少が要因となって生産量が減少した鉛筆と思いきや、一番の要因はボールペンの台頭だった。 HB・B・2B と書き味にこだわっていた想い出は勉強とテスト、、加えて、色鉛筆はカラフルな夢を描いた想い出に満ち溢れているーーー。

    『一本の鉛筆』 歌唱 : 美空ひばり

    作詞 : 松山善三     作曲 : 佐藤 勝

    あなたに 聞いてもらいたい

    あなたに 読んでもらいたい

    あなたに 歌ってもらいたい

    あなたに 信じてもらいたい

    一本の鉛筆があれば

    私は あなたへの愛を書く

    一本の鉛筆があれば

    戦争はいやだと 私は書く

 

    あなたに 愛をおくりたい

    あなたに 夢をおくりたい

    あなたに 春をおくりたい

    あなたに 世界をおくりたい

    一枚のザラ紙があれば

    私は子どもが欲しいと書く

    一枚のザラ紙があれば

    あなたを返してと 私は書く

 

    一本の鉛筆があれば

    八月六日の朝と書く

    一本の鉛筆があれば

    人間のいのちと 私は書く

     1976年の誕生日を期して発売され、また芸能生活30周年記念して制作された美空ひばりさんのアルバム『私と影 歌は我が命 第10集』は、どんなことがあろうともファンがいる限り歌い続けていくという“スターとしての美空ひばり”の宿命を歌ったモノローグ歌謡の傑作ですが、カップリングとして集録されている「一本の鉛筆」は1974年8月に発売されたシングル曲で、テーマは「平和・反戦」でした。 またジャケットに使用されている「美空ひばり」の文字は、話題の書道家、武田双雲氏の手によるものと聞いています。

     猛火の中を逃げ回った横浜の大空襲を自ら経験しているひばりさんの、戦争を嫌悪する気持ちが音楽祭への出演依頼を快諾させ、楽屋に運び込まれたベッドで点滴を打ちながらの熱演も観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りたひばりさんは「来てよかった、、」と皆に告げると、記憶の底に大切なものを仕舞い込むように大きく深呼吸をして広島の大空を見上げたのです。

     見上げる元町の空、ストリートを見下ろすようにあの日と同じ夏の空が広がっています。

     美空ひばりさん三十四回忌の夏.... Yokohama..........。

Tommy T. Ishiyama

 

 

 

follow

ページの先頭へ