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2024年(令和6年)15日号 元町コラム

横浜開港200 / Y2002059年)を夢みて!

モトマチのフェニックス 〜不死鳥の翼に乗って〜(1

 

 〜今年も新たな年の訪れを告げる音が聴こえました〜

 

 除夜の鐘に共鳴するように、今年も横浜に新年の訪れを真っ先に告げてくれたのは山下公園に係留されている氷川丸の汽笛でした。 横浜が古くからの港町であることを再認識させてくれるこの音は、「新年だよ! また1年頑張るんだよ!」と応援してくれているような力強さに元気を貰えるので、地元は勿論、多くの観光客の皆さんを山下公園での年越しに集めています。

 

 筆者の記憶にも、氷川丸の広報部の記録にも不鮮明なこの「除夜の汽笛」の発祥は、どうやら30年以上を遡る事は確実ですが、遠い記憶を辿ると、祖父が「港の除夜の汽笛が聴こえるところが本当のヨコハマなんだよ」と毎年自慢そうに語っていたのが筆者の小学校低学年時代でしたから、もう、かれこれ70年近くも前の事になります。 という事は、横浜港外に繋留されていた氷川丸が横浜のシンボルとしてユースホステルや観光船として改装され、山下公園前に横付けされたのが63年前の1961年(昭和36年)517日のことでしたから、除夜の汽笛の発祥は氷川丸ではなく、何処かの外国船が横浜港に停泊の折に新年を祝ったものが代々受け継がれて、近年は氷川丸の年始のイベントと化したものと思われます。

※ 新春の柔らかな光の中に毅然と佇む横浜市指定有形文化財、太平洋航路を爽快に旅した往年の豪華客船「氷川丸」ーーー。

 元町のフェニックス、ステラマリスとジュピターに飛び乗って遥かな上空から見下ろした今朝の氷川丸は、往年の勇姿そのままに、ロサンゼルスオリンピックに派遣した満載の日本選手団を乗せて、颯爽と太平洋の波の穂を蹴散らしながら爆進している様でした。

※ 銘香の紫煙たなびく初船出ーーー。

 氷川丸が強運のシンボル〜幸運の船と言われる由縁は、第二次世界大戦中に3度も機雷に触れても不沈だった事に加えて、米軍の戦闘機の銃撃、潜水艦との遭遇などを安全に回避した事、そして、戦後賠償として米国に差し押さえになる寸前で生き延び、更に、最後の航海後の解体スクラップの危険を、青少年の海事海洋思想普及の為にと一蹴されたおかげで現在があるからに他なりません。

 山手の丘から新雪輝く富士山を眺め、新年を告げる氷川丸の勇ましい汽笛を遠くで聴きながら祈りましょう。 佳き日に幸あれ、横浜に幸あれと、、。

Tommy T. Ishiyama 

 

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