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2024年(令和6年)3月20日号 元町コラム

横浜開港200 / Y2002059年)を夢みて!

 
モトマチのフェニックス 〜不死鳥の翼に乗って〜(6


 七つの水仙(Seven Daffodils  by The Brothers Four)〜

 

 横浜に春を呼ぶ元町の催事、「チャーミングセール」とアイルランドの建国を祝う「セントパトリックスデー パレード」が終わり、その一連の流れを見守る様に咲いていた山手の丘の水仙たちもシドモアの桜へ季節のバトンを渡し終えて、いよいよ春本番を迎えようとしている今日この頃、今年も可憐に咲いてくれた水仙にお別れを告げながらいつも想う事があります。

※ 早春の昼下がり、野毛山へ続く水道道越しに横浜の中心部を見下ろす港北区篠原の台地、筆者の親族家「S & S. O.家」の陽光溢れる庭に咲く日本水仙。地中海沿岸原産の多種の花々を総称して「水仙」。日本へは平安末期に中国から渡来した。 漢名には「仙人は天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」とあり中国の古典からその名が来ている。 欧米では水仙は「希望の象徴」として、ガン患者をサポートする団体の多くが、春の訪れと共に咲くこの水仙をシンボルとして活躍している。 大きな力を貰ったーーーー。

※ 横浜開港の直後、英国人男子専用の社交クラブとしてクリケット場が横浜公園内、現在の横浜スタジアム付近に建設された。 また、日本テニスの発祥となる女性専用のソサエティとして山手の丘に「YITC」(Yokohama International Tennis Community)の前身となる「LLT & CC」(レディーズ ローン テニス & クロッケー クラブ)が開設されたのは1878年(明治11年)の事だったーーー。

 この季節にいつも想うこと、それは現在から遡ること165年前の横浜開港(1859年7月1日 / 安政6年6月2日)直後の「文久」の終わりから「元治慶応」年間(1861年 〜1868年)にかけて、横浜山手の丘を愛し、そして、やがて移り住むことになる7人の外国人女性の存在です。 その中心にいたのがジャネット・ジャーディン・ケズウィック(Janet Jardine Keswick)、日本開国と同時に横浜の居留地1番(現在のシルクセンターの地)に居を構えたジャーディンマセソン商会(英一番館)の当主でスコットランド出身のウィリアム・ケズウィック(William Keswick)の妻、その人でした。 同商会の創立者ウィリアム・ジャーディンの近しい縁戚者でもあるW. ケズウィックの名は、同商会の史跡碑の横にある顕彰レリーフにも刻まれており、今日もシルクセンター横、メインストリート側の一画に凛として佇んでいます。

 そのケズウィック夫人を取り囲む様に、同社の幹部夫人や英軍幹部将校の妻たちが春先から山手の丘に咲き誇る水仙の花を愛(ito-o)しんでいたのは、ご夫人たちの故国の早春の景色の全てがそこに展開されていたからにほかなりません。 まさにスコットランドやウエールズの碧(ao)い海に映えて水仙が海岸線を埋め尽くしていたのと同じ様に、横浜の美しく青いラグーンを見下ろしながら、春を待ち焦がれるように水仙が山手の丘に群生していたのです。

※ 伊藤博文等、後の政府高官や要職に就く事になった5人の長州の若者達「Choshu-Five」を密出国させ、英国留学を画策して実行した英国商社、英一番館ことジャーディンマセソン商会の史跡碑。 1954年(昭和29年)に開国100年祭の記念事業の一環としてマリンタワーと共に横浜市によって建立された。 この『史跡英一番館跡』の碑の右側に、W. ケズウィックの顕彰レリーフがある。 同商会の跡地、横浜大桟橋入り口に建つシルクセンターの地は日本発展の歴史の交差点でもあるーーー。

 ラッパ水仙(Daffodil / ダフォディル)はリーキと共にウェールズの国章に定められていますが、今年も、3月1日の「セント・ダビデ(デイヴィッド)の日」(Saint David’s Day)にはリーキを胸に飾って1日を過ごす習慣が今日まで続いている事がニュースで報道されていました。 リーキとは、ウェールズの守護聖人・デヴィッドのシンボルとなっている植物で、6世紀のサクソン人との戦いに際してウェールズの軍人に戦場での敵味方を区別させるために帽子に付けたネギ科の植物の茎の事ですが、その昔、筆者が学生時代にブームを見たアメリカの人気フォークソンググループ、ブラザースフォー(The Brothers Four)の大ヒット曲、「七つの水仙」(Seven Daffodils)を聴いて意味深く感ずるのは、かつて山手の丘に暮らしたこの7人の貴婦人達に由来して楽曲が存在しているように聴こえるのと同時に、横浜を愛し、代々、横浜に暮らしている自らの遺伝子の由縁がそうさせているのかも知れないと常々思っていた事に由来しています。

 長いドレスを優雅に纏(mato )い、亡きエリザベス女王にも引き継がれていたあの伝統的な横坐りの英国流騎乗スタイルでお洒落に谷戸坂を下り、元町から堀川(現在の中村川)を越えて商館が建ち並ぶ居留地まで散策を楽しむ7人のレディ達の姿が、今年も山手に咲く水仙の向こう側で陽炎(kageroh )のように見え隠れしていたような錯覚を楽しむ事が出来ました。
※ カントリーミュージックが人々が抱える不安を慰安したのに対して、フォークミュージックは反戦と抵抗へと皆を駆り立てて行った。 しかし、1950年代以降の米国を見渡すと、フォークを盛り上げたのは主に都会のインテリ白人大学生であり、当時の音楽シーンは黒人がブルース、白人はカントリーと明確に色分けされていた時代だった。 そのカントリー色を背景に男っぽいフォークを歌ったのが「キングストン トリオ」であり、そして、年齢差や男女の区別なく、オールマイティに幅広い人気を得ていたのが「ブラザースフォー」だったーーー。
※ 同様に、前述のO家に咲く黄水仙(Golden Daffodils)も発見。 美しく華やかな黄色が、降り注ぐ陽光を全身に浴びて喜んでいる。 古代からの大地に染み渡り、パワーと共に何かを発信している事がわかったーーー。

 久しぶりに聴いたブラザースフォーは、甘くソフトなハーモニーも昔のままにこう歌っています。

「七つの水仙」 (Seven Daffodils )意訳

僕には、豪邸も土地もない
手の中にしわくちゃの紙幣の一枚も無い
だけど、幾千の丘に降りそそぐ朝を君に見せてあげよう
そして、精一杯の想いと七つの水仙の花を君にあげよう

僕には財産なんて何一つ無い
君に素敵なものも買ってあげられない
けれど月の光を紡いで
指輪やネックレスを作ってあげよう
幾千の丘の上の朝もあげる
そして、精一杯の想いと七つの水仙の花束を君にあげる

素晴らしい七つの黄水仙が太陽に輝いている
日が沈んでも宵の道をなお照らしてくれるように
音楽とひとカケラのパンと香りの良い小枝で編んだ枕をあげよう
そこに君の頭を休めて欲しいから、、、

 スコットランドの水仙はもう直ぐ、4月に見頃を迎えます。 そして、現在、ウェールズはスコットランドと共に、イギリス(正しくはグレイトブリテンおよび北アイルランド連合王国)を構成する4つの構成国のひとつとしてグレイトブリテン島の南西に位置し、南にブリストル海峡、東にイングランド、西と北にアイリッシュ海を望みながら悠久の時を今日も刻んでいます。

Tommy T. Ishiyama

 

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