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*本コンテンツは、これまで元町公式メールマガジンにて配信しておりましたコラムです。

2022年(令和4年)2月20日号 元町コラム 
横浜開港200年/Y200(2059年)を夢みて!

【特集】 行く川の流れは絶えずして、、その65
                 〜 高島嘉右衛門さんのこと 〜(42)       

   梅の香りが何処からともなく漂う頃となりました。

     冬枯れの野や街を散策していると、夏の間は草木に覆われていた種々の記念碑がその全身を誇示するように姿を表している事に気が付いて思わず立ち止まってしまいます。目で追うその説明文はどれも簡潔ながら、行間に膨大な歴史を感ずる事が出来るので一瞬のタイムスリップを楽しむことも決して不可能な事ではないような気が致します。

     「歴史が躍動している」というのは、そんな刹那のことを言い表しているのかもしれないと実感する次第ですが、現代の横浜の街がすっかり葉を落とした木々を通り越して眼下に大きく広がる中、久しぶりに訪れた高島嘉右衛門さんの旧宅跡は静かな時の流れの中に息を潜めて、誰かが訪れて来るのを待ち望んでいる様な、そんな温かな感覚に包まれて来るから不思議です。

 

※ 「高島山公園」は鎮(shizu)かに時を刻む明治期の高島嘉右衛門の邸宅跡に存在する地元の皆さんの憩いの場。大綱山(高島台)に住んだ嘉右衛門さんを偲ぶその地に高島山公園(横浜市神奈川区高島台5-2)があるーーー。

     「高島山公園」には由緒ある記念碑があって、その一つには「望欣台の碑」(Bou-kin-dai no hi)と刻まれており、1877年(明治10年)に建立された高島嘉右衛門の功績を讃える顕彰碑です。元々は、高島邸にあったものを公園内に移設したもので碑文は高島嘉右衛門の友人「荒木誠樹」の作と言われ、筆をとったのは後述する歌碑にも関わる嘉右衛門の友人、「三宝寺」の住職で歌人としても知られる「大熊弁玉」(Ohkuma Bengyoku 1818-1880)と伝えられています。

※ 嘉右衛門の功績を讃える「望欣台の碑」。「横浜の繁栄と事業の功績を望み、ひとり欣然として心を癒した」という高島嘉右衛門に由来して、この高島台の高台を「望欣台」と称したーーー。

※ 「横浜の恩人」としての嘉右衛門の存在とその足跡が感謝とともに記されているーーー。

     そして、公園内にあるもうひとつの記念碑は、幕末から明治の初頭にかけて神奈川・三宝寺の住職であり歌人でもあった前述の大熊弁玉師の「歌碑」兼「顕彰碑」です。この歌碑の片面には「弁玉師倭歌碑」の題字と弁玉の略歴や人柄を記した「弁玉師墓碣誌幷銘」が漢文で刻まれており、この歌碑が明治16年(1883年)年3月に建立され、枕山大沼厚(幕末・明治前期の漢詩人、大沼枕山 Ohnuma Chinzan のこと)が撰文書写したことが明記されています。 厚は名で通称は捨吉、号は水竹居、臺領、枕山とあり、野にあって詩人として生き、利害関係でしがらみの世を憂いて最期まで武家のままの髷姿を通した事が記されています。

※ 久しぶりに訪れた弁玉 (大熊弁玉)の歌碑の前で往時を偲んだーーー。

※ 嘉永3年(1850年)、嘉右衛門家の至近にある三宝寺(神奈川区台町7-1)の住職になった弁玉(Ben-gyoku 1818-1880)は歌人でもあった。長歌を通して公私共に嘉右衛門と親交を深めるようになった弁玉と嘉右衛門は何を話していたのだろうかーーー。

     大熊弁玉は、文政元年(1818年)に江戸浅草俵町の大熊卵八の四男として生まれ、天保元年(1830年)13歳で江戸下谷の清徳寺大潮のもとで得度し、下総国飯沼の弘経寺で修業したのち芝の増上寺に入り、嘉永3年(1850年)三宝寺の住職に転じました。以後、明治13年に没するまで神奈川の人として、和歌は、橘守部、岡部東平、普門寺境音などに学び、とくに嘉右衛門が好んだ長歌(Cho-ka 和歌の歌体のひとつで五音と七音の二句を三回以上続け最後を七音で止めるのを原則とするスタイル)に長けており、文明開化初期には、石鹸玉、伝信機などの新事物を巧みに捉えて長歌にうたい注目されていた実績が記録に残されています。また、明治10年、横浜の発展に尽した高島嘉衛門の功績を称えて建立された「望欣台碑」の碑文を揮毫し、文明開化期の横浜の発展経路を現在に伝えているほか、長歌集「由良牟呂集」が明治12年(1879年)、弁玉が没する一年前に門人によって出版されており、現在も専門家の間で文明開化期の横浜の発展を知る貴重な資料となっています。

拝借させて頂いた写真が非常に判りやすいのでご覧ください。東海道横須賀線で横浜駅を出てすぐ。横浜港が一望できる「本覚寺」(日本最初のアメリカ領事館が設置された曹洞宗の名刹)と前述の歌碑にある住職・弁玉が務めた「三宝寺」の間の坂を上った高島台に高島山公園があるーーー。

     京浜急行神奈川駅から青木橋を渡り、国道1号を横切って本覚寺から三宝寺脇を通る急な坂道を上り詰めると、右手に高島山公園が見えて来ます。現在は高島台という名称の住宅地になっているこの丘が、嘉右衛門が晩年に住んでいたことに由来して「高島山」と呼ばれるようになった丘です。

     時は流れて、、、、横浜に春を呼ぶ「元町チャーミングセール」(2022/02/22 火曜日 - 2022/02/27 日曜日)が無事に帰って参ります。ストリートでお会い致しましょう。

Tommy T. Ishiyama

 

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