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*本コンテンツは、これまで元町公式メールマガジンにて配信しておりましたコラムです。

2021年(令和3年)9月20日号 元町コラム 
横浜開港200年/Y200(2059年)を夢みて!

【特集】 行く川の流れは絶えずして、、その58
                 〜 高島嘉右衛門さんのこと 〜(35)    

  

     祝 鉄道開通。1872年(明治5年)5月5日の品川 - 横浜間の暫定開通を経て、新橋駅(後の汐留駅)- 横浜(現在の桜木町駅)間の全線29kmが開通したのは同年10月14日の事でした。新橋駅で明治天皇ご臨光の「新橋汽車お開き式」が盛大に執り行われ、天皇陛下と明治政府の高官たちを乗せた一番列車が午前10時、横浜に向けて新橋駅を出発しました。

     当初、正式の開業は重陽の節句を意識して、10月11日(旧暦9月9日)を予定していたところ、暴風雨に見舞われた為に14日に延期され、一般営業は翌日の10月15日からとした経緯がありました。季節的には現代の今日この頃以上の爽やかな日本の秋のはじまりを迎えて、はんなりとした時の流れの中で、明治という希望の時代の幕開けを象徴したような鉄道開通と華やかな「お開き式」でした。

※ On September 12, 1872, the first railway, between Shimbashi (later Shiodome) and Yokohama (present Sakuragichō) opened. (The date is in Tenpō calendar, October 14 in present Gregorian calendar). A one-way trip took 53 minutes in comparison to 40 minutes for a modern electric train. Service started with nine round trips daily.ーーー 1872年10月14日(旧暦9月12日)、新橋駅(後の汐留駅)での「汽車お開き式」の図ーーー。

     お召し列車の主な乗客は、国家元首として明治天皇以下、有栖川宮親王 (皇族)、三条実美 (太政大臣)、井上 勝 (鉄道頭)、山尾庸三 (工部省)、西郷隆盛 (参議)、大隈重信 (参議)、板垣退助 (参議)、勝 海舟 (海軍)、山縣有朋 (陸軍)、江藤新平 (司法卿)、渋沢栄一 (大蔵省)、大久保一翁 (東京府知事)。加えて、来賓の駐日外国要人はイタリア全権公使、アメリカ全権公使、イギリス代理公使、フランス代理公使、スペイン代理公使、オーストリア代理公使、ロシア代理公使の各位。そして、琉球國の維新慶賀使として、伊江朝直-尚健 (王子・琉球正史)、宜野湾朝保 (親方・琉球副使)、喜屋武朝扶 (親雲上・賛議官) 他がお召し列車の乗客となりました。

※ 鉄道開業 〜 第1号横浜駅(現在の桜木町駅)。複製『横浜商館並ニ弁天橋図 横浜ステーション蒸気入車之図並海岸洋船燈明台を眺望す』浮世絵師・歌川国鶴 作 (神奈川県立歴史博物館蔵)ーーー。

     驚き喜びはしゃぐ他の乗客とは異なり、明治天皇がゆったりと落ち着いて説明を聞いたり車窓の景色を楽しんでおられる余裕に高官たちは驚かされたわけですが、実は、天皇は2ヶ月前に1度、鉄道に乗車した経験があったのです。それは、1872 年(明治 5 年)に入り、新橋 - 横浜間の大部分の路線工事が終了して、5月7日から品川 ー 横浜間の 23.8km の仮営業が始まっていた折りの7月12日、西国巡幸を終えて東京に戻る明治天皇を乗せた船が悪天候のために横浜港に緊急入港した際のことで、横浜駅から仮営業中の列車を利用して品川への帰京を果たしたのでした。

     後年、明治天皇は、1877年(明治10年)2月5日に開催された京都 - 神戸間の鉄道開業式典にも出席する事になりますが、当時、神戸 - 品川を結ぶ路線を中山道経由にするか東海道経由にするかで紆余曲折の議論があり、結果として、1889年(明治22年)7月1日に東海道本線が神戸まで全通した事によって、新橋駅が東京側のターミナル駅として重要な役目を担うことになるなど大発展を遂げることになります。

     また、1877年(明治10年)に勃発した西南戦争では、横浜港から出陣する兵士や多数の武器が鉄道を利用して東京から横浜へピストン輸送され、西郷隆盛が率いる薩摩軍が破れる結果となるなど、鉄道が軍事的にも大変重要なインフラを担ってゆくわけですが、鉄道敷設に反対を唱えていた西郷には実に皮肉な結果となりました。

※ 「横浜鉄道蒸気出車之図」歌川国政。高島嘉右衛門が鉄道に乗車したのは開通式の翌日だった。横浜発の始発列車に飛び乗ると、新橋までを2往復するなど幼子のように大喜びしたと記録にある。嘉右衛門と鉄道の縁はその後も深く続き、北海道炭礦鉄道株式会社や東京市街鉄道株式会社の社長を歴任するに至るーーー。

     開業時の全区間の運賃は、上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘というもので、下等運賃で米が5升半(約10kg)も買えるほど高額な運賃でした。また、遡ること、6月12日の品川駅 - 横浜駅間の仮開業では、上等が1円50銭、中等が1円、下等が50銭と更に高額なもので、これは料金の算出を当時の並カゴの料金を下等の運賃に、また、早カゴと上等運賃を同等に算定したものでしたが高額ゆえに乗客が少なかった為に7月10日に料金が改訂され、同区間での下等料金を31銭2厘5毛とした経緯もありました。金額が半端な理由は、当時1円=1両=4分=16朱という4進法がまだ残存していたからに他なりません。

     開業時の運行列車本数は1日9往復、全線の所要時間は53分。「表定速度」(→交通における速度の一種で「運転時刻表制定速度」の略称)は32.8km/h。また、この日を記念して1922年(大正11年)に10月14日を「鉄道記念日」とする旨が制定され、1994年(平成6年)に運輸省によって「鉄道の日」と改称されて現在に至っています。横浜市にある鶴見駅が開業したのは、このお召し列車が走った翌日、営業運行が開始された10月15日の事でした。(続く、、)

Tommy T. Ishiyama

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