• facebook
  • twitter
  • instagram
  • youtube

*本コンテンツは、これまで元町公式メールマガジンにて配信しておりましたコラムです。

2022年(令和4年)9月20日号 元町コラム 
横浜開港200年/Y200(2059年)を夢みて!

〜 「ひまわり」の季節が過ぎて 〜

     賑やかに開催中の 「秋の元町チャーミングセール」が真っ只中の今日、9月20日は彼岸の入り。 山手の外国人墓地にも多くの墓参の皆さまが訪れ、今年も色とりどりの花がいつにも増して華やいだ雰囲気を醸し出しています。

     時の流れには想像を絶する速さがあり、目まぐるしく移り変わる世の中に翻弄されないためにも、季節や歳時記を意識することの大切さが一層大切に思える今日この頃、今週は「彼岸の入り」を皮切りに、翌、21日からは「秋の全国交通安全運動」、そして、23日の「秋分の日」に加えて、開催中の「横浜元町秋のチャーミングセール」は25日までと、恒例のイベントが目白押しの一週間となっています。

     そんな今日はイタリアが生んだ大女優、ソフィア ローレン(Sophia Loren)さんのお誕生日と言う事で、1934年の9月20日生まれですからまだまだお若い88歳。 日本ではめでたい米寿のお祝いですが、イタリアでは何でもない普通のお誕生日を健やかに過ごしていらっしゃる事でしょう。

     イタリアを代表する世界的な人気女優としての彼女は、1996年にイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ / Cavaliere di gran croce )を受章し、2006年には、トリノオリンピックの開会式でオリンピック旗の旗手を務め、また、サッカーのSSCナポリの狂信的なサポーターであることから、日本でもその名は多くの皆さまに知られています。

※ 生命力を謳歌するように今年も元気に咲いたヒマワリたち。ひとつの季節が、ひとつの時代が通り過ぎて行くーーー。

     ソフィア ローレンと言えば、数ある作品の中で、1970年に公開されたイタリア・フランス・ソ連の合作映画「ひまわり」(原題 I Girasoli)が有名ですが、現在、ロシアのウクライナ侵攻という暴挙によって、映画の名シーンとなったひまわり畑の撮影現場も惨劇に見舞われているのではないかとの危惧を各局のニュース番組が取り上げていました。   

これまで、ひまわりの撮影現場はソビエト連邦(以下、「ソ連」または「ソビエト」と記す)時代のウクライナの首都、キーウ(キエフ)から南へ500kmのところにあるヘルソン州だとされていました。 実際、在ウクライナ日本大使館のウェブサイトにもそう記載されています。 しかし、調べた限りでは撮影がヘルソン州で行われたという事実は確認できず、「ウクライナ中部のある村で映画の撮影が行われた」という話題を多く耳にした経緯もあって、最終的に判明したのは、中部にある都市「ポルヴァ」の近くにある「チェルニチー・ヤール」という村が真の撮影現場であるという事でした。

     何故、撮影現場を偽る必要があったのか? そこには当時のソ連にとって不都合な歴史を覆い隠そうとする指導部の策謀があったのです。

     第2次世界大戦当時、ソビエトで捕虜になったイタリアの将兵の4分の3が飢えと病で亡くなりました。 その事実を戦後のソビエトの指導者たちは隠し通して来たばかりか、村人たちが葬ったイタリア人捕虜の墓地も破壊されていたのです。

     映画では、ソフィアが扮するヒロインが前述の墓地をさまようシーンがあるわけで、映画の公開直前にこのシーンの存在を知ったソ連側は、上映間近のフィルムからこの部分をカットするよう要求したのです。つまり、ソビエト指導部が歴史をねじ曲げ、捕虜の犠牲など存在しないとの虚偽を主張した瞬間でした。

     東部戦線で実際にイタリアが派兵したのは、ひまわり畑が撮影された場所と同一のウクライナのポルタヴァ州からロシアにかかる地域でした。 犠牲者が埋葬されているのも、まさに同地なのです。 しかし、遺族の慰霊訪問や遺骨の返還要求など、ソ連は不都合から逃避し、イタリア兵の主戦場ではなかった南部ヘルソン州を撮影場所として仕立て上げたのでした。

     実に、この美しい無数のひまわりの花は、戦争で亡くなった兵士たちの象徴でもあったのです。

     美しい映像と相まって、印象的なテーマ曲を担当したヘンリー マンシーニ(Henry Mancini)は世界的な評価を得るに至りますが、作品は、名優、マルチェロ マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni)の名演もあって、戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末が悲哀たっぷりに描かれており、エンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面の広大なひまわり畑にヴィットリオ デ シーカ監督の秘めた製作意図を強く感ずる次第です。

※ 新しい季節の香りが漂う横浜山手本通り。少しだけ秋モードが漂う木々の間を、爽やかな風と共に時間が流れて行くーーー。

     猛夏に見舞われた今年の日本、多くのひまわりが夏を謳歌するように誇らしく咲いていたのはつい昨日までのことでした。 今朝は涼やかな風の中に新しい季節の訪れを感じて、去って行く季節の色に寂しさを覚えますが、友人の「小田和正」(Oda Kazumasa)氏を想い出したのも、そんな「ひまわり」繋がりの経緯があったからでした。

     筆者と同じ歳の小田氏は関東学院六浦小学校を経て、1歳違いの兄が進学していた名門校「栄光学園」を第1志望として目指したものの、夢叶わず、1960年に聖光学院に進学します。 そこには、塾通いの京浜急行の車内で出逢って以来の塾仲間で、同じく栄光学園失敗組の「鈴木康博」がいて、更に、後にメンバーに加わる「須藤尊史」と後輩の「小林和行」との出逢いがあり、オフコース(OFF COURSE / 1967年〜1989年2月26日まで活動)としてデヴューに至ります。

     聖光学院には1,000名以上の観客を収容出来る「ラ・ムネホール」があって、名を成したオフコース時代も学園祭実行委員の後輩達からの出演依頼を快諾した小田と鈴木が実施した学園祭コンサートは大人気を博しました。

     そのオフコースが1982年に開催した日本武道館の10日間連続満員の伝説的公演で、なんと、一面のひまわり畑が大スクリーンに映し出されたのです。 それは、ヒット曲「言葉に出来ない」の曲の後半部分で、映画「ひまわり」の中の、あの有名なひまわり畑のシーンそのものでした。 このアイディアは小田自身によるもので「どうしても武道館一面を圧倒的なひまわりの花の映像で埋めたかったから」と、映画「ひまわり」の版権の一部を買い取り、武道館にひまわり畑を実現させたと聞き及んでいます。

     そう言えば、小田和正氏もソフィアローレンさんと同じ、今日、9月20日生まれでした。 1934年生まれと1947年生まれの二人が、「9月20日のバースデー」と「ひまわり」で繋がった不思議なご縁をいつまでも覚えておきたいものです。

     今年も美しいひまわりが畑一面を華やかに彩った夏が去って行きました。再び訪れる季節では、平和で穏やかな環境の中で存分にひまわりの花を謳歌したいものです。

Tommy T. Ishiyama 

  

 

 

follow

ページの先頭へ