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2023年(令和5年)9月5日号 元町コラム
横浜開港200年 / Y200(2059年)を夢みて!

【特集】心安らかに人生を見つめ直す旅への誘(izana)い〜(16)

 〜 秋の七草 〜

    七草(ななくさ)は人日の節句(Jinjitsu no Sekku)、つまり五節句の一つを意味し、「1月7日」の朝に7種類の野草あるいは野菜が入ったお粥「七草がゆ」を食べる風習のことと理解しています。

    元々、「七草」とは「秋の七草」のことを指していたのですが、現在では本来の意味が消失して風習だけが形式として残り、1月7日の人日の風習と、1月15日の小正月の風習が混ざりあった結果、1月7日に「七草粥」をいただくようになったと考えられています。

    ですので、「秋の七草」が本家と言うことになります。

    この、1月7日の朝に、春の七草を入れたお粥を食べる「七草粥( Nanakusa Gayu)」の習慣は平安時代に中国から伝わり、江戸時代になって全国に広まったといわれていますが、春と秋では植物の種類だけでなく、その由来や意味合いもまったく異なりますので、秋の七草は「お粥にして頂く」と言うわけではありませんのでご注意下さい。

※ 『横浜を創った男』、高島嘉右衛門(Takashima Kaemon)さんが未来に夢を託して開設したのが横濱〜箱館(現在は函館)航路。 北の大地は空気も澄み渡り、秋の気配が色濃くなったーーー。

    ハギ、オバナ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、アサガオ。 皆さまご存知の秋の七草の勢揃いでゴザイマス。

    万葉集の中で、山上憶良(Yamanoueno Okura)が、この順番で歌に詠み込んだことから有名になり、現代まで語り継がれて来たのですから驚きです。

    但し、最後に登場しているアサガオは熱帯アジアが原産地ですから、奈良時代には既に日本には渡来していた事は確かなのですが、憶良が詠んだアサガオは、どうも、『キキョウ』(桔梗)のことだったらしいという学説もあって、諸説入り乱れて賑やかです。 ですので、現在はアサガオではなく、キキョウとするのが一般的なため、名月の向こう側で、山上憶良さんは少し、渋い顔をなさっているかもしれません。

※ いつの時代も海を渡り大空を飛び越えて行きたい国がある。 旅に夢を馳せる人々の目には、異国の風情の中を散策する自らの姿が、過去と未来を交錯し ながら行き交っているに違いないーーー。

    日本が最も美しく輝く秋。 その入り口を迎えようとしている今日この頃ですが、明後日の9月7日はラジオからCMソングが日本で初めて流れた日で、それは1951年のことでした。

    三木鶏郎〔Miki Toriro 1914年/大正3年〜1994年/平成6年)さんの作詞作曲による日本のコマーシャルソング第1号となったのは、小西六写真工業株式会社(Konishiroku / 後にコニカミノルタ / 2006年に写真事業から撤退)のカメラのCMだったわけですが、最初のCMソングとして世界的に有名なのはイタリアの活火山ベスビオに開通したロープウエイのコマーシャルソングでした。 その曲名は「フニクリフニクラ」( Funiculì funiculà / ロープウェイの愛称)。 1880年のことでした。

    現在では、ナポリ民謡の代表曲のひとつに数えられる程、有名になっている楽曲ですが、ロープウエイをイタリア語では「フニコラーレ」と表現します。 1944年のベスビオ山の噴火で破壊されたまま復旧されずにコマーシャルソングだけが残っている事になります。

    現在はフニコラーレに代わって、二人掛けの可愛いリフトが稼働していますので、夏の終わりの今朝、早朝からポンペイの街を訪れている皆様は、朝の眩しい陽光を浴びながらベスビオ山に向かっている頃かもしれません。 最新式のリフトに乗って口ずさむのは、やはり、、フニクリフニクラであることは確実です。

    いつの時代も、旅はエトランジェ(異邦人)たちの気持ちを高揚させてくれる魔法の光の道として、あなたの目の前に端を発しています。

Tommy T. Ishiyama

 

 

 

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