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2023年(令和5年)4月20日号 元町コラム

横浜開港200年 / Y200(2059年)を夢みて!

 

【特集】心安らかに人生を見つめ直す旅への誘(izana)い〜(7)

     帰って来たいつもの季節、いつものショッピングストリート。

     「COVID-19」(Coronavirus Disease Nineteen )。 この忌まわしい文字にある如く年末を控えていた2019年(令和元年) 、中国武漢市に端を発した「新型コロナウィルス感染症」は世界を震撼させ、多くの犠牲とともに人々の行動の自由が厳しく制限されました。

     全国からお祭りが消え、春のお花見も貧相なものとなって、日本の文化の原点ともいうべき四季折々の歳時記も、ついこの間まで空白の日々が続きました。

     そんな、この数年の春と一線を画して、いつもの春がやっと、本当にやっと舞い戻って参りました。

    これらの一連の災禍や社会の現実を見つめながらこれまでの日々を冷静に振り返ると、そこには無理もあったし、無駄も沢山ありました。 でも、だからこそ出来た挑戦の数々がそこに存在していた事を忘れずにいたいものです。

     災いがあったが故の出会いもあれば別れもあって、「人生を見つめ直す機会を得た」とポジティヴに考えれば、そこにも遠大な旅の足跡があった事に気づくと同時に、「人と人との出会いと言うものは本当に不思議」と言う事を再認識させられます。

※ 今年も一層華やかに満開の花を咲かせた元町・シドモアの桜。 真北を目指す元町の不死鳥「ステラマリス」を満月が見下ろしていた。 思い浮かんだ一句を記しておきたい。 〜 夜桜や襟を正して握る数珠〜 合掌ーーー。

     ある心理学者の見解では、同じ目的で行動をしている過程で出会った人々はお互いに全員が友達になれる反面、特に目的もなく出かけた場所で、たまたまスレ違った者同士は一生の間に再びスレ違うことは極めて少なく、その確率はゼロ%に近いとか。

     「袖振り合うも多生の縁」という古来からの諺(kotowaza)の根拠のようなこの論理を、もっと壮大に宇宙時間レベルで考えてみると、人と人との出会いには空前絶後の偶然が寄せ集められていることが判ります。

     今、私たちが生きているという現実は46億年という地球誕生以来の歳月の積み重ねの上にあるわけですが、この現在は、突き詰めて考えると宇宙が出来てから138億年余の時の経過の上に成り立っていて、しかも、その気が遠くなるような旅の途上にあると言う事になります。

     学説にもよりますが、一般的に考えられている宇宙論の壮大な時系列で整理すると、138億年前に宇宙が出来て、その92億年後に地球が誕生し、その地球に生命体が生まれるのが更にその6億年後。 その後、やっと人類の祖先が登場するわけですが、それまでの時の流れは地球が出来てから実に46億年という時間を要しているということ。 そして、人類が地球に誕生してから現在までの経過時間は500万年~800万年という、宇宙時間から見れば僅かな時間が経過しているのみ。 

※ 卓上で輝く我が家の地球。 世界を旅して帰る我々を待っていてくれる我が家のように、宇宙を旅する皆々の帰還を待ちながら輝く地球の美しさが永遠(towa)に続く事を祈って、思わず手を合わせたーーー。

     ちなみに、我が家の子供達を通じて、孫達へも伝えられている準おとぎ話ですが、宇宙住所で現在地を表現するならば「天の川星雲国 銀河系県 太陽系村 字地球入る日本」と言うこと。 不安を煽る恐れがあるので口にはしませんが、残念な事に、この太陽系(村)にも寿命があって、あと「55億年」程度で消滅するわけですから、この地球がハビタブルゾーン、つまり、生命体が住める星として存在できるのはあと17億5000万年くらい。 

     前述の500万年~800万年前という人類誕生以来の時間経過と比較して、この地球の寿命を短い時間と考えるか、長い時間と考えるかは意見の分かれるところですが、何事にも終りがあることだけは確かです。

     機会を得るたびに言っていることですが、この一連のお話しをザックリと大宇宙の時の流れの中で表現するならば、『地球の寿命はマッチを擦った時に出る火花と同じで、それも、光っては消えて行った目には見えない一瞬の微細な火花が宇宙の中での地球の存在時間』ということ。 それは、55年前、オランダ・アムステルダムに赴任する際のKLM機で偶然に臨席した宇宙工学博士の言葉でした。

     博士は続けます、『だから、現在の地球に宇宙の他の星から何らかの生命体が地球人と似たような文化レベルでやって来て、お互いに出会う確率はゼロ。 一瞬の火花同士だから。 但し、どちらかが、かつて存在していた形跡は無くても、それぞれが暮らしていた星に、いつの日かたどり着く可能性は100%ある』と。  

以来、筆者はこの話を冒頭のように「人と人との出会いは貴重な偶然」と置き換えてお話ししているわけですが、人間同士が同じ地球上で出会う事は、同じ時期に生まれて生きていることだけで、もう奇跡的な偶然なわけですから、その出会いは「必然」であり「宿命」であると思う今日この頃です。

※ 海外赴任の際に同席した人々をいつも思い出す空の旅。 機上から眺める日本の美しい春の夕照が旅の安全を見守ってくれているようだーーー。

     縁(enishi)の不思議な糸は、今年もいろいろな人との出会いを演出してくれることでしょう。 この4月、新たな人生のスタートを切った皆さまを祝い、応援するように、美しい花吹雪の舞を見せてくれた今年の桜たちにも愛(ito)おしさ感ずる今日この頃となりました。

     野山にさえずる小鳥たちは聡明なメロディを奏でて生を謳歌し、舞い飛ぶ蝶は春を迎えた喜びを小さな身体全体で表現しながら生きています。

     真っ白な雪をいただく南アルプスの山々も、いつしかその表情を変え、訪れた新しい季節に笑顔で応えるように雪解けで浮かび上がるいつもの図柄を山肌に映し、ゆるやかに流れる小川も古(inishie)の歴史絵巻のような春の宴を川面に映しながら、今年も新しい季節の中を豊饒の海へと流れて行きます。

     新しい季節の訪れ、それは人類が足跡を記す遥か以前からこの地球上に存在していた宝物。 そして、1個の元素の存在も知らずに生活を営んでいた先人たち。 悠久の時の流れの中に身をまかせる者も居れば、輝かしい未来を予感して大海原に挑む者、白く険しい峰々を越える者など、北へ、南へ、家族を伴い、希望を携えて旅をする冒険者たちも多く存在したことでしょう。

     地球が青く美しい水の惑星であることを人類が知ったのもつい最近のこと。 この星に生まれた喜びを、襟をただして新しい季節の中で感謝する事は重要です。 これから訪れ来る新しい季節を今年はいつにも増して、いつまでも忘れないでいたいものです。

Tommy T. Ishiyama

 

 

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