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2024年(令和6年)105日号 元町コラム 

横浜開港200 / Y2002059年)を夢みて!

 

モトマチのフェニックス 〜不死鳥の翼に乗って〜(19

 〜 シルクロードの交差点「青の都」へ 

 

 世界遺産、ウズベキスタンのサマルカンドはアジアと欧州を結ぶシルクロードの中心に位置し、交易都市として発展しました。

 

 そんなヒストリカルポイントを訪れる機会を得る事が出来たのは、アメリカのアウトドアーブランド「ハンティングワールド社」(Hunting World Inc. / Head Office : Reno Nevada, U.S.A.)の一員として、希少野生動物と世界的埋蔵文化遺産の保護を実践していたオーナーのボブ・リー(Robert M. Lee 1928  2016)氏からの白羽の矢のおかげでした。 プライベートジェット・ガルフストリームは常駐していたニュージーランドから一路、パミール高原を経由してサマルカンドを目指したのです。

※ パミール高原でのありし日のボブ・リー(Robert M. Lee)氏。 ビジネスを通じて多くを学ばせて頂いたーーー。(氏の著書 「China Safari」より / by Lee’s Expeditions Inc.)

 魅了された秘境、サマルカンドについて、記憶の奥底に鮮明に残されているものは、歴史感あふれるその風土に加えて、世界の交差点を自負している様に聳えるモスクや廟(byo)と、そこに施されている見事な「青い色」の装飾の輝きです。

   1370年、日本は南北朝真っ只中の室町時代で、和暦は南朝が「建徳」(Kentoku)、北朝が「応安」(Ouan)とそれぞれに混沌としていた3代将軍・足利義満 (Ashikaga Yoshimitsu)の時代。 ティムールがサマルカンドを都としてトルコ=モンゴル系のイスラーム教国家「ティムール朝」を建国し、中央アジアから西アジアを支配する大帝国へと発展させたわけですが、その勢いを現代に至るまで誇示しているようなサマルカンドの美しさは「青の都」と呼ばれるに相応しく、「世界遺産」ならではの存在感で我々一行を出迎えてくれたのです。

 昨今は、モスクの美しいターキッシュブルーを眺めに世界中からリッチな観光客の皆さんが集うサマルカンド。 往年のシルクロードの要衝地は、これまで培われて来たウズベクの古典音楽と共に一層の人気を集めるに至っています。

※ 横浜の秋も、ブルーの都市「サマルカンド」に負けない紺碧の青空に彩られて、、今年もいよいよ季節の本番を迎えようとしているーーー。

 ウズベクのディーヴァ(歌姫)「ナスィバ・アブドゥラーエ」は1961年のサマルカンドで生まれ。 多くの世界的芸術家や音楽家を排出している「アブドゥッラー・カーディリー記念タシュケント国立文化大学」で伝統の音楽文化を学びました。

 その歌声は、ペルシャ語やタジク語が入り乱れているサマルカンドを代表するように殆どが母国語で歌われていて、加えてロシア語の歌詞も多く見受けられ、チャガタイ&トルコ語系の現代語であるウズベク語が聴こえて来ないなど、サマルカンドの国際性を再認識するには充分です。 この交錯した言語状況が物語っているものこそ多くの美しすぎる女性の皆さんが存在している理由と共通で、それは長い歴史の中で培われて来たヨーロッパとアジアの血の混ざり合いの結果以外の何物でもありません。

※ 時代をタイムスリップするように音のない世界を風になって飛翔する様は、魔法の絨毯に乗って現代を行く旅人の様でもあるーーー。

 余談になりますが、サマルカンドと言えばプッチーニやブゾーニのオペラ「トゥーランドット」に北京と並んで頻出する町としても有名ですが、この両都市はお互いに極めて遠い距離を隔てているものの、トゥーランドットの中ではまるで隣町のように扱われていることから、それは、あたかも「魔法の絨毯」に乗って空中瞬間移動を楽しませてくれている様で不思議です。

 今日の午後は、プッチーニだけでなく、ブゾーニ版のCDも気球に積み込んで、紺碧の大空を歴史の風になって滑空することに致しましょう。

Tommy T. Ishiyama 

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