2025年(令和7年)2月5日号 元町コラム
横浜開港200年 / Y200(2059年)を夢みて!
横浜モトマチ ”Rainbow Connection”
遥かな虹を越えて 〜 (3)
『散策できるストリート、歴史が育まれている街』
新年の幕開け早々から2週間、元町の対岸とも言うべきMM(みなとみらい)エリアに拠点を構える『けいゆう病院』の10階でご厄介になって参りました。
そこは24時間、夜も昼もない不夜城の医療の現場であり、頼もしくそして明るく躍動している看護師の皆さんと、多くの先生方、スタッフの皆によって守られ支えられている言わば戦場の最前線の基地の様相を呈していました。 平素、外来で訪れていた折には垣間見る事が出来なかった他のフロアや、いつも素通りして見知っているドアの1歩向こう側にはビッシリと配備された最新の医療機材と、ワンチームと呼ぶべき多くの皆さまが寸分の狂いもない機敏な動きを見せていて、あたかも宇宙船の操縦室に居るような別世界でもあります。
同時に、職場として見た場合の医療の現場は、皆さんの奉仕の精神が全ての根幹になっているからこそ成り立っている厳しさがあり、24時間、日々、目の当たりに筆者が眺め、噛み締めた思いは『感謝』という言葉にその全てが詰め込まれています。
※ 校訓『人になれ奉仕せよ』(Be a man, Serve the world)は、我が恩師、関東学院の名誉院長・坂田祐(Sakata Tasuku)先生の言葉。 まだまだ未熟な我々の大きな指針になっているーーー。
※ そしてもうひとつ、、。 みとみらい線 元町・中華街駅から 南に400m。元町公園の西側の階段坂を登っていくと,坂の中ほど,元町公園プールを見下ろす場所にプレート型の発祥碑が建っている。 横浜山手(中区山手町76-12)にあった『横浜バプテスト神学校』発祥の碑。 「関東学院の源流」と記されたこの記念碑は2009年に学院創立125周年記念事業として同地に建立されたーーー。
さて、けいゆう病院の病室から眺める窓の外には、この季節、真っ青に澄んだ横浜の空が広がり、その下ではいつもの日々がスタートしているわけですが、環境や立場が変わると、心に浮かんでは消える思いは複雑さを一層極めて、自ずから感受性が鋭くなって来るのは世の常。
※ 医療の現場の最前線。 壮絶な戦いとは隔世の病室の窓の外では、深夜、早暁の区別なく大自然の美が希望を持って眺める私たちの心を癒してくれるーーー。
※ 2週間、、ベッドの頭のボードに吊り下げられて、一緒に過ごした伊勢山皇大神宮さまのお守りーーー。
ストリートやオーシャンフロントの風を感じながら自由に行きたい場所へ向かって歩いて行ける喜びは格別ですが、今、そんな思いを胸に秘めて病院のベッドでご静養中の皆さまへ申し上げたいことは、四季を通して空が広がる元町ストリートは満月も顔を出してくれるということ。 晴れてご退院の暁には、ご一緒に元町ストリートを散策し、山手の丘に登って、今度は横浜ベイとみなとみらいを眺めながら、お世話になった皆さまに『ありがとうーーっ』と、そして、今、全国の病院、ご自宅のベッドでご静養中の皆さまへは、『ゆっくり、のんびり、おとなしく頑張れーーっ』と叫びたい気持ちでいっぱいです。
以前、元町ストリートの改造計画(街づくり)が持ち上がった際に、アーケードスタイルのストリートや、パリにあるような優雅なパサージュ(passage / 屋根の連なる商店街)の案も飛び交い、戦々恐々とした論戦が繰り広げられました。 しかし、車が通り、横付けして直ぐに買い物が出来るストリートの貴重性が将来一層増すであろう事を説き、横浜開港以来の空が広がる元町ストリートの環境の維持継続を推してくれた皆さまへの感謝の気持ちを再認識致した次第です。
「雨が降ったら傘をさしてご来街頂こう。 色々な色の傘が行き交う自然さも楽しい街の景観のひとつになるに違いない。 そんなストリートこそ、古来からおしゃれに存在する横浜元町ならではの景色の筈」。 そう言い切ってくれた先輩やご先代たち。 皆さまの懐かしいお顔を想い出しながら、毎日、コースを決めないで元町界隈を散策しております。
風が、雲が、月が星が、、そして雨も、元町ストリートには大自然の風情が実にお似合いです。
日々の医療の現場での奮戦、ご活躍中の皆様への感謝を込めて、大自然の環境が私たちを健康維持に導いてくれるに等しいパワーを頂戴致しました事を心より御礼申し上げます。
Tommy T. Ishiyama