2025年(令和7年)8月20日号 元町コラム
横浜開港200年 / Y200(2059年)を夢みて!
横浜モトマチ
“Rainbow Connection”
遥かな虹を超えて 〜(16)
〜「一年の長さ」というもの考 ~
帰省ラッシュのニュースと共に旧盆が巡って来るとやがて夏休みが終わるのももうすぐ、同じ様に年末になるとひたすら一年を締め括る準備にいそしみ、除夜の鐘の音に今年去って行った人々との今生の別れを悼む。
そんな恒例となっている歳時記を眺めるまでもなく、折々に強く感ずることは一年が過ぎ去って行くという時の流れの速さというもの。 歳を重ねるごとに1年を早く感ずる人も居れば、少数ながらも、逆に、遅く感ずる人も居て、いずれも人間が育む大切な感性に違いはありません。
特に年末の場合は一年の経過を早いと感ずる人は「歳のせい」と安易に決めつけがちですが、人間の深層心理では早く感ずるその要因は「もっと時間が欲しかった」という悔恨の念と、「それなりに一年間頑張ってきて、やっと終わりに近づいた」という満足感を逆心理的に表現しているものと言う事が出来ます。
また、訪れる季節の中に時の流れの速さを特に感ずるという皆さまは、その折々の風情の大切さを心底感じながら、また来年も同じ季節が訪れてほしいと季節の行事とのしばしのお別れを惜しむ深層心理が働いているということをお伝えしたいと思います。
さて、そんなことを学問的に述べている「ジャネーの法則」というものがあるのをご存知だったでしょうか?
かなり有名な法則ですが、簡単に言うと「人は加齢によって一年の長さをだんだん短く感じるようになる」という学説です。 哲学者でもあるジャネー氏いわく、生まれてから1歳になるまでの一年の長さの感覚を「1」とすると、10歳では、その「10分の1年」、20歳では「20分の1年」と言う具合に時間の概念というものは30歳の大人では10歳の子供の3倍も一年を短く感じると説くと学説です。
※ 悠久の時の流れの中で風になるのもまた良しーーー。
確かに、小学生の頃の夏休みは感覚的にも非常に長く感じたし興味を抱(ida)いたいろいろな物事にも充分に体験できる時間がありました。
ただひたすら毎日プールに通う事もそれが永久に続くような気がして楽しくて仕方がないものでしたが、たった1カ月と少々しかない夏休みの宿題の絵日記だけは想像を絶する膨大な量に感じて、日々のページが毎日重くのしかかって来たものでしたが、それなのに最近の一年の短いことと言ったら不思議なくらいの短さです。
※ 楽しい人生を豊富な時間の中に蓄えて、、瞬間の集中力が凄いーーー。
感覚的に長い一年でも七夕の星々やクリスマスからお正月へ、また、雪が降り積もった日の乾杯のように、一年に1回しか出会えない縁(Enishi)を楽しみたい皆さま方にとっては新たな一年が早く訪れた方が嬉しいに決まっていますが、では、なぜ加齢により一年が短く感じるようになるのでしょうか。 それは、歳を重ねるにつれて初めての体験や新しい感動、好奇心が希薄になってしまうからに他なりません。
まさに、旺盛な好奇心こそ若さの秘訣というわけで、積極的に新しい体験を試みたり、いつの間にか「あたりまえ」になってしまった日常にも、もう一度、目を向け直して感動の芽を掘り起こすことこそ重要です。
その意味では普段は気が付かない「細部を眺める元町散策」がピッタリ。
ポンパドゥルの脇道(参道)を直進すれば、直ぐの突き当たりに縁結びの「元町厳島神社」がありますからあなたの好奇心が旺盛になる事は確実です。
大宗教家の親鸞も空海も自己の究極的な「悲観論」から人生をスタートさせているわけで、見る物や聞くもの、自己の考えの全てにそれ以下の悲観論の存在が皆無だったことから、結果としてそれ等と対極にある楽観論によって感性がフル回転していたわけですので私たちが足元にも及ばないのは当然です。
※ さもないものが、大切な時間を共有している事に気がつく瞬間があるーーー。
しかし、そうは言っても、やはり「アッと言う間の一年」をそれぞれの季節の中で毎度・毎度過ごすわけですから、やはり変わることのない壮健さこそが唯一の武器である事は明白です。
Tommy T. Ishiyama